2018年3月3日土曜日

『今日が人生の最後の日だったら』の勘違い

おはようございます。高橋久美です。

今日が人生の最後の日だと思って生きなさい、
の意味が分からず、ずっと深く考えていました。

あ、もちろん、言葉の意味としては理解してます。
今日が最後だと思って、大切に生きましょうってことですよね。

でも、私には真逆の意味に思えてなりませんでした。


もしも今日で最後なんだったら、
明日以降のことを考えても仕方がないから、
コンビニに行って普段我慢してるお菓子を好きなだけ買って食べたい。

今日中にパーッとお金を使って豪遊したい。
スイーツパラダイスでケーキを全種類一切れずつ食べて、
カレーで味変して、もう一周ケーキ食べたい。

あと、夜はいいお寿司食べて、
31アイスクリームを贅沢にレギュラーのトリプルにする。
ワッフルコーンオプションを追加して優越感に浸って、
満腹で死んでいきたい。

最初は、そんな風に考えていました。

今日で終わりだと思ったら、
やる気なんか出ない、と。

未来に良くなると信じているから、
不健康な食べ物とかを我慢して
お金もちゃんと先々のことを考えて取ってあるのに、
その未来がないんだったら意味なくないですか?

そして、今日で最後だからいいやー、
という投げやりな生き方はいかんと思ってました。


その後、たまたまある本を見かけて、
少し考えが変わりました。

『明日死んでもいい片付け』

そうか、真面目に考えたら、
身辺整理しないといけないんじゃないか?

本は表紙を見ただけで一切読んでないですが、
急にせっせと掃除をし始めました。

見られたら恥ずかしいところを片付けなきゃ!
ってなったんですね。
排水口の髪の毛とか、ぐちゃぐちゃの洗濯カゴとか。

払ってない請求書も残したらダサいし、
大切な人にお礼を伝えてなかったら成仏できない。

で、気づいたんですが、
見られても良いようにきれいにしておくのは、
「神様に恥ずかしくないように生きる」
との相似が見られるな、と思いました。

…掃除だけに。


で、まあきれいにしながら、
またしばらく生活して『今日が最後』について考えてました。

毎日、瞑想して、祈って、ご飯炊いて、
ブログ書いて、ブログ書いて、ブログ書いて、
勉強して、お風呂入って、日記書いて…の繰り返しです。

そうしたら、二つの矛盾した感覚が出てきたんですね。

ああ、この日常がすごくいいなあっていう幸せ感と、
なんかこのままじゃまずいぞっていう危機感が。

もう身辺整理(笑)もできていて、
普通の一日がとっても愛おしい。
最後の日を、よく味わって、楽しめればそれでいい。


いや、でも、変わりたい。

今までと同じことをしてちゃダメなんだ、
どうにか今までで最高の仕事をして、
「これが高橋久美の遺作かあ」
って誰かが見た時に、ショボかったら嫌だ。

今まで学んだこと、やってきたこと、
生きてきた人生の全部を詰め込んで、
今日の自分にはもうこれが限界っていうぐらいの
『集大成』を作りたい……

と、本気で思うようになりました。

誰か人に会うときも、
これが今生の別れになるかもしれないと思うと、
すごく大切な時間のように思われます。

たぶん、『今日が人生』の本当の意味は、
こういうことなのかもしれません。


いまこの瞬間が最高に幸せなんだけど、
未来のもっと高い所を見ている。

たとえその未来が無いものだとしても
今の地点に「傾き」だけは確かに存在しています。


今日は、人生の集大成にするつもりで、
今日の自分にできる最高の仕事をしましょう。

0 件のコメント:

コメントを投稿